福井地方裁判所 昭和37年(ワ)109号 判決 1963年12月25日
原告 高間和枝
被告 大和紡績株式会社
主文
原告の請求は、いずれも、これを、棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立。
原告訴訟代理人は「原告と被告との間に、被告を雇主とし、原告を被傭者とする雇用契約が存在することを確認する。被告は原告に対し、昭和三六年一二月二〇日から一カ月当り金一〇、二八四円の割合による金員を毎月末日限り支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求めた。
第二、当事者双方の主張。
一、原告訴訟代理人は、つぎのとおりのべた。
(請求原因)
1 原告は、昭和三四年一〇月一日、被告会社福井工場の従業員として採用された。
2 ところが、昭和三六年一二月一九日、原告は、被告会社福井工場労働主任沢田嘉平から呼出を受けたうえ、口頭で、「会社の都合による。」という理由(被告会社就業規則第三五条第一項第七号)をもつて、普通解雇の通告を受けた。
3 しかし、被告会社がおこなつた原告に対する右解雇通知は、後記の理由により、無効なものである。すなわち、
(イ) 原告は、被告会社福井工場の従業員によつて組織されている大和紡績労働組合福井支部の職場代議員として活発に組合活動をおこなうとともに、雑誌「人生手帳」の読者を会員とした「福井緑の会」の会員としてもこれまた、活発な組織活動をおこなつてきたのである。
(ロ) しかるに、被告会社、および大和紡績労働組合福井支部では「緑の会」そのものに対し、同会が、(民主青年同盟、その他の「左翼グループ」とは全く無関係なグループであるのにもかかわらず、)あたかも、緑の会が、そのような「左翼グループ」の一つであり、かつ、赤の巣屈でもあるかのように誤解をし、これを、極度に嫌悪するという態度をとつていた。そのため、被告会社、および、右組合は、原告に対し「緑の会に入つていると会社や、組合のやることに反対するようになる。」とか、「緑の会に入つているうちに赤になる。」など言つて、理由のない中傷を加えて、原告が緑の会から脱退するようにほのめかしてきたけれども、原告は、緑の会からの脱退を拒んできた。
(ハ) そうしたことがあつたのち、被告会社は、原告の伯父――被告会社に対しては養父として届出ている――である訴外高間庄吉(以下単に庄吉という)および、入社当時の身元保証人訴外黒田起可に対して、「原告を緑の会から手を引かすためには、退社をさせる以外に方法はない。」など話すなどして庄吉に原告の退社を勧奨したこともあつて、庄吉は、被告会社に対し、原告と被告会社間の労務契約の解約方を申し出たけれども、原告が任意退社を拒否したので、被告会社は、前叙の理由によつて原告を解雇した。
したがつて、右各事実からすれば、右解雇は明らかに原告の思想、信条を理由とした解雇であつて、労働基準法第三条に違反する無効な解雇であるといわねばならない。
仮りに、前叙解雇が、労働基準法第三条に違反した無効な解雇に該当しないとしても、前記のような事情からすれば、右解雇は、被告会社の就業規則所定の解雇事由に藉口してなされたところの解雇権の濫用であつて、無効なものであるといわねばならない。
4 原告は、本件解雇の意思表示を受けた当時、被告会社から、平均一カ月当り金一〇、二八四円の賃金の支払を毎月末日に受けてきており、そして、前叙のとおり、本件解雇は無効であるから、被告会社に対し、本件解雇の日の翌日である昭和三六年一二月二〇日以降毎月末日に前叙割合の賃金の支払いを請求しうるものといわねばならない。
5 よつて、原告は雇用関係存在確認、および、賃金請求のため、本訴請求におよんだものである。
(被告会社の抗弁事実に対する答弁)
原告が、被告会社主張の日時から、福井大学生活協同組合に勤務し、被告会社主張のような月額の賃金支払いを受けてきているということはいずれもこれを認めるが、その余の点は争う。
二、被告訴訟代理人は、つぎのとおりのべた。
(答弁)
原告主張の請求原因事実のうち、第一、二項の各事実は、いずれもこれを認めるけれども、その余の各事実は争う。これを詳述すると、
(被告会社が原告を解雇するに至つた経緯)
1 原告は、実母ひでのが昭和三二年九月一二日死亡したのち、伯父(実父の兄)である庄吉に引き取られ、その監護のもとに、中学校を卒業し、昭和三四年一〇月一日から、庄吉の養子として被告会社福井工場に勤務するようになつた。
2 ところが、昭和三六年一二月七日、右庄吉は、被告会社福井工場沢田労務主任に面談を求めたうえ、「原告をそろそろ家事見習をかねて、大阪の縁者の家の手伝に行かせたい。」という理由で、原告と被告会社間の労務契約の解約を申し出たが、その真意は、原告の最近における異性との交友関係についての兎角の風評を心配し、原告を大阪に住む庄吉の娘のもとに置き環境を変えて善導したい。という固い決意によるものであつた。
3 昭和三六年一二月当時の被告会社福井工場における従業員数は男子二二九名、女子九三四名――合計一、一六三名――であつて、しかも女子の九一パーセントに当る八五八名が、原告同様に工場に付属する寄宿舎(寮)に居住しているのであるが、これら寮生の親もと、ならびに、被告会社がもつとも心配する点はこれら寮生の異性との交友関係である。それというのは、寮生の大多数が、いずれも中学卒業の遠隔地出身者で、しかも、初めて家郷を離れ、結婚するまでの数年間を就職する一五才から二〇才までの未成年者であるという特殊事情からである。これらの者の親もとでは、前敍のような心配をしながらも娘を会社に預けている。という意識が強く、そのため娘の健全な成長の如何は一に会社の責任にかかつている。とすら認識しているのが実情である。
このような事情から、被告会社では、親もとからこれら女子従業員を引取りたい。という退社の希望があると、その事を被告会社から本人に伝えるなり、または、父母に出頭してもらつたうえ本人とも話合つてもらつたのち、退社願を提出してもらつてきた。しかし、本人が退社を納得しないときにも、被告会社は親もとの退社希望にそうため会社の都合を理由にして、その本人に対して解雇をおこない、親もとに引取つてもらつてきた。
4 被告会社が、庄吉から、原告を退社させたい。旨の申し出を受けたとき、被告会社は、庄吉に対し、本人を納得させて呉れるように話したが、その後、庄吉から、「原告が退社の意思を変えたので、会社の方から今一度本人に退社をすすめて欲しい。それでもなお、応じないときには、会社の方からやめさせていただきたい。」という強い要請があつた。
かような場合、もし、被告会社が、庄吉の要望に応えないで、荏苒日を終るうち、もしも、原告の身上に庄吉の憂慮しているような事態が生じたときには、被告会社は、世間一般からの信用を失い、将来における女子従業員の募集にも重大な支障をきたすことになるから、被告会社は、企業維持の目的、ならびに必要のうえから、(原告が任意退社に応じない以上)やむなく、原告を、被告会社の就業規則第三五条第一項第七号――その他会社の都合によるとき――によつて、解雇したのである。
(抗弁)
仮りに、本件解雇が、原告主張のような理由により無効であつたとしても、原告は、本件解雇後の昭和三七年四月一日から福井大学生活協同組合に勤務のうえ、同月から同年六月まで毎月金八、〇〇〇円、同年七月から翌昭和三八年三月まで毎月金九、〇〇〇円、同年四月から今日まで毎月金一〇、一六〇円の賃金の支払い、および、その間毎月平均金八〇〇円の時間外勤務手当の支払いを受けると同時に、昭和三七年四月一日から昭和三八年六月末までの間に合計金四四、〇〇〇円の賞与の支払いを受けているから、右金員は、原告の賃金支払いを求める請求額からいずれも控除されるべきものであるから、その範囲において、原告の請求は失当である。
第三、証拠<省略>
理由
一、原告が、昭和三四年一〇月一日、被告会社の従業員として採用されて以来、昭和三六年一二月一九日、被告会社から「会社の都合による。」という理由でもつて、普通解雇(以下本件解雇という)通告を受けるに至るまで、被告会社福井工場に勤務していたということ、および、原告が、本件解雇後の昭和三七年四月一日以降福井大学生活協同組合に勤務し、同年四月から同年六月まで毎月金八、〇〇〇円、同年七月から翌昭和三八年三月まで毎月金九、〇〇〇円、同年四月から今日まで毎月金一〇、一六〇円の割合による賃金の支払いを受けてきているということは、いずれも、当事者間に争いがない。
二、(本件解雇の効力について考察をする)
成立に争いのない甲第一号証、乙第一号証、第二号証によると、被告会社がその従業員を解雇しうる場合については、被告会社の全事業場に適用されている被告会社の就業規則が、これを定めているのであるが、それによると、「会社の都合」も、また解雇事由として規定されており、また、かかる場合、被告会社は、従業員に対し、三〇日前に解雇予告をするか、または、予告手当として平均賃金三〇日分を支払わねばならない。旨規定されていること、ならびに、被告会社の原告に対する本件解雇の意思表示は平均賃金三〇日分を支給したうえでなされたそれであるから、本件解雇の効力の有無は、いつに、右就業規則所定の会社の都合による場合として原告を解雇しなければならない事由が被告会社に存在したかどうかにかかつているものというべきである。
ところで、証人高間庄吉、同黒田起可、同沢田嘉平、同錦織興の各証言、および、原告本人尋問の結果を総合すると、
1 原告は実母ひでのが昭和三二年九月一二日、死亡したのち、実父庄一の兄に当る伯父庄吉のところに寄寓して、庄吉の監護のもとに養育せられてきたのであるが、中学卒業後の昭和三四年九月頃、訴外黒田起可の紹介もあつて庄吉の勤務先であるだるまや百貨店――福井市所在――の顧客である被告会社福井工場の入社試験を受けたのち、採用せられ、昭和三四年一〇月一日から福井工場付属寄宿舎(寮)に入居のうえ、福井工場へ勤めるようになつた。ということ。
2 原告は、入社に際し、伯父に当る庄吉を養父であると称したことから、被告会社では、原告を庄吉の養女と確信してきたということ。
3 原告は、入社当初は、庄吉の勤務先を度々訪ねて、庄吉に、給料をみせるなどし、また、福井工場高等学園において生花などを習つていることを話して、被告会社に入社できた事を喜び、庄吉もまた、「被告会社は大会社だから寮に入れていても安心だし、本人も嫁にゆくまでにはある程度の支度金を作つて呉れるだろうから、自分としてもいくらか肩の荷がおりた。」などと訴外黒田に話すなどして原告が被告会社へ入社できたことを喜んでいたところ、昭和三六年七月頃になると給料日の前に庄吉を訪ねてきて、五〇〇円とか一、〇〇〇円の借用を頼むようになつたということ、そして同年一一月頃には訴外黒田から、「原告が、緑の会という共産党のグループに入り、夜遅く外出先から寮に帰るなどしているから、女子の事でもあり、庄吉の方で引取つて面倒をみてはどうか」。とか、また、「どこか他へ転職させたのがよいのではないか。」と言う忠告を聞くようになり、庄吉としても、原告が、入社当時と全く変つてしまつている事を考えるとき、原告の将来に不安を感じ、このまま、原告を被告会社に勤めさすということは娘である原告にとつて好ましくない。と考えた揚句、大阪で不動産業を営む娘の嫁ぎ先に事務員として働かせるのが良策であると考えつき、大阪の娘にその旨を相談し原告を引取つて世話してもらう事の了解を得たということ。そして原告も一度は被告会社を退社のうえ、大阪で事務員として働くということを承諾をしたということ。
4 ついで、庄吉は、昭和三六年一二月七日、被告会社福井工場労務主任沢田嘉平に面会し、「原告が、緑の会に深入りをしておる現状では、娘の子として、さきざきが案じられ、それについて、幸い大阪の娘の嫁ぎ先から原告に事務員として是非来て欲しいと言つてきているので、その方で働かせようと思うから、被告会社を退社させて欲しい。」ということを伝えて、原告と被告会社間の労務契約を解約してくれるよう申し出たので、被告会社は、庄吉の話すところの事情から右申し出を拒むこともできず、退社については出来る限り本人を納得させてもらいたいということを話したということ。
5 ところが、一二月一九日、右沢田嘉平のもとに、庄吉から、
「原告は退社を納得して呉れていたのに、その後、どうしたことか、退社の気持を変えてしまつたから、会社の方から、私の意のあるところを十分に話して納得させて欲しい。もし、それで駄目なら、会社の方から解雇してもらいたい。」という強い意向が伝えられたので、右沢田は、労務課長錦織興に庄吉の意向を伝えると同時に、指示を仰いだうえ、原告を呼出し、庄吉からの申出の事情を話し、退職届を提出するよう言つたけれども原告は退社を承諾せず、退社届も提出しなかつたので、被告会社としては、庄吉の希望にそうため、やむなく就業規則に定める解雇理由のうちの会社の都合による場合に該当するという理由で、原告を解雇せざるをえなかつたということ。
6 被告会社福井工場における未成年女子従業員数は、全従業員の約八五パーセントにもおよび、その大部分の者が中学卒業後、始めて家郷を離れて生活する未婚女子であるところから、男女関係、思想関係が一番心配され、そのことの故に、被告会社は親もとから、男女関係、思想関係などを理由として、労務契約を解約するようにとの申し出を受けた場合には、会社の都合も言えず、出来る限りその趣旨にそつて善処しないと、万が一、本人に好ましからざる事態が発生しないとも言えず、そのような事が起つたとき、将来における中学卒業女子従業員の募集に支障をきたしかねないため、被告会社としては、全く企業維持の目的と、必要のために、女子従業員を解雇せざるをえないというやむを得ない事情を生ずることも、まま、あるということ。が、いずれも認められ、証人能登勝治、同野村田鶴子の各証言および、原告本人尋間の結果(一部)中、右認定に反する部分は前掲各証拠および、弁論の全趣旨に照比してにわかに採用し難く、他に、右認定を左右するに足る証拠はない。
(もつとも、成立に争いのない甲第三号証によれば、昭和三六年一二月一九日原告が普通解雇になつた後の昭和三七年一月一八日から二月にかけ被告会社福井工場女子従業員二名――いずれも民主青年同盟会員――が会社の就業規則に反するという理由で解雇せられたという事実が認められるけれども、右事実は前叙認定をなすについて、なんら妨げとなるものではない。)
さすれば、右認定事実からすると、被告会社は、全く企業維持の目的と必要のため、やむなく、被告会社の就業規則第三五条第一項第七号にいう会社の都合による場合に該当するものと判断して原告を解雇するにいたつたものであり、また被告会社の右判断は、十分首肯しうるものといわねばならない。
原告は、本件解雇が、実質的には、疑いもなく、原告の抱懐する思想、信条を理由としてなされたものであつて、(労働基準法第三条に違反した)明らかに、無効な解雇である。と主張するが、本件解雇にいたる前叙認定の如き経緯に照らせば、被告会社が原告主張のような意図のもとに、原告を解雇したものであるとは、到底、考えることができないのである。
さらに、原告は、本件解雇は、権利の濫用であつて無効であると主張するのであるが、しかし、いまだ、ただちに、本件解雇を権利の濫用であると断定するに足る証拠は、原告の全立証によつても、見出しえないのである。
されば、結局、原告の右のような主張は、いずれも、理由がない。
以上説示のとおり、被告会社が原告に対してした前記解雇の意思表示には、違法無効の事由を肯認することができないのであるから、これが、無効であることを前提とする原告の本訴各請求は、その余の争点についての判断をなすまでもなく、その理由のないことが明かである。
よつて、原告の請求は、いずれも、これを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。
(裁判官 後藤文雄 服部正明 重村和男)